映画の感想と本の感想が3冊溜まっている~いや~そして大逆転裁判も進んでいる~

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#daigyakuten
大逆転裁判2話終わったので感想
終わらせたの4日くらい前なんだけど、感想書かないと忘れるのでやっぱり終わった瞬間に書く必要があることが分かった。

■総括
前の感想で逆転裁判はあんまりミステリーのフォーマット取ってないって言ってたけど、今回は裁判がないせいかとてもミステリーだ!
私は原作のまだらの紐が原因でホームズシリーズを読むのをやめた人間なので、まだらの紐を滅茶苦茶ちょけながら密室殺人をやってくれたので超楽しかったです。
ホームズが出てきたけど結論は合っているが道筋がおかしいという、今までの私の逆転裁判のプレイングとかなり近い人が出てきて笑った。ハッタリは常套手段です!

■トリック
マダラの紐で私が納得していなかった部分をスサトさんが全指摘してくれて私は満足しましたよ!!!!!!!!!!!!!!
ミステリー部分は調査パートの時点で大体推理できる感じになっていてびっくりした。
ちゃんと密室だ密室だ密室だ~~!
証拠ないところは犯人の人のピアスのところとか生物が猫のところくらいかな。あとは大体捜査していたら証拠は引っ張れる気がする。
推理パートはホームズの登場によって論理の整合性を合わせるフェーズが追加された。
テンポは悪くなるけど、ホームズと一緒に推理する龍之介君のモーションめちゃ可愛い。
裁判がないのもあってか犯人の自供とか豹変とかが軽いのは、自分たちの望んだ事実を見つけるのではなく本当に起きた事実を暴くのが大逆転裁判だよ!というのをやっているのか後半もう一回この事件についての言及があるのか楽しみだ。

■キャラクター
前回の感想で亜双義死ななくてびっくりしたとか言っていたけど死にましたね!まぁ亜双義がいたら龍之介君導き人が多すぎるから仕方ないのかな……。
でも龍之介君死体を直接が見ていないからまだ分かんないよ!!!!!!!!!!!!
スサトさんが大変亜双義に入れ込んでいるけど、どういう関係なんだろうね。いやどっちかというと龍之介くんの立ち直りの速度が異常なだけなんですけど。まぁ逆転裁判シリーズの語り手のことを私は一切信用していないため、何も言ってないだけで立ち直ったとは思っていないが。
ホソナガ刑事は加虐嗜好の人を喜ばせる存在なのかな……。ひたすらに喜んでしまったので本当に良くないんですが……。
なんであんなに一生懸命でかわいいんだろう…‥‥。ぼこぼこになって出てくる意味が分からなかった。
ホームズがついに登場したけど、頓智気推理かと思ったら変な言動なだけで見通しはできているキャラっぽいのが分かって面白かった。
顔が綺麗だね~。3Dになると目鼻立ちというかEラインが強調されるので顔が綺麗だというのが情報として分かりやすくなる。
ホームズさんが頓智気するけど、龍之介君も割とノリノリなのが面白い。

■次の章
また密室だ!!!!!!!!!!!!楽しみ!!!!!!!!!!!!!!ここまで

レストレード姓が証言者として出て来たけどこの人刑事か?
ホソナガ刑事いないなと思っていたけど、これ以降の刑事枠?でもさすがに刑事枠が買収されることはないだろうしな……

感想

このごちゃごちゃも何がヤバいって字面の話しかせずに発言者がどういう感情だったのかを一回全シカトしているところだよ。

前に小説の読み方がわからんと言っていた人に羅生門の空間論の読み方を一例として説明したことがあったんだけど、数年後くらいにその人にあって喋った時に「あの読み方ができる人とできない人がいて、できる人の方がすごい」みたいな感想を言われたり、別の人に「この物語を〇〇のように受け取れる私で良かった」と言われたりした時に全くピンとこなかったんだけど、私の中で何かしら面白い読みが発生してもすごいのは物語であって読み手ではないという感覚がベースだからなのだろうというのも分かって良かった。
物語は最初からそれらを見出せる可能性はずっと内包しており、こちらにそれを受け取れるだけの籠というか受け取り口がないだけで読み手は常時読み落としているという気持ち。
そう考えると「この物語を〇〇のように受け取れる私で良かった」という感想自体は一緒なんだろうけど、そこで評価軸が自分に行くのが不思議という感覚なのかな。でも私も本読んだ結果「私こういう部分に感じ入る事あるんだ!?」と驚くこともあるので、そんな変わらないのかも。
でもそういう物語を読める自分でありたいみたいな気持ちはあるのか……?なんか「そう読める自分でありたい」は別の人の解釈を読んだ末にその読み方を正としたい気持ちがないといけない+物語よりも読み方を先行している気がするから私向けじゃない気がするな!?私は物語を読んでいる時は私対物語が優先第一なので「こう読みたかった」(過去形)はあって「こう読みたい」(現在形)はないからそう考えるとやっぱり「この物語を〇〇のように受け取れる私で良かった」は字面だけだと私とは合わない感覚な気がするな。
まぁ発言者に対してこの発言の深堀してないので、私がごちゃごちゃ言っていた内容が頓珍漢な可能性が高いが。
「あの読み方ができる人とできない人がいて、できる人の方がすごい」に関しては、そういう読み方を勉強しているという観点であるならすごいすごくないの尺度に乗れないし、読めること自体がすごいすごいくないという話であるならばお前がそう思うんならそうなんだろうなではあるが、その枠組みに私を入れて語ろうもんなら全力で反論する気持ち。すごいのは物語であってその読み方によって人間のすごいすごくないの話をするのは私は乗りたくない。せいぜい物語をどう受け取れるかですごいすごくないを決めるのは好きじゃない。

キャラクターの心の機微に対する意識が低すぎて詩歌を読むように心がけよう!というのを始めたけど、蓄積がないことしかわからなくて面白かった。
それについて話していた友人と一緒に「雨ニモ負ケズ」を一緒に読もう!という突発会話をしたんだけど、私が始終「内容としては質素かつあるがままの日々を受け入れるが善性は捨てない人間になりたい素朴な感情を読む詩と言われているが、そもそも質素な欲望の内容であってもそれを何文にも重ねた場合それはあまり質素な欲望に私は受け取れず、また玄米1日に4合は多すぎないかということが気になって集中できない」という話を受けた友人の「それくらいの欲望を持った人間がそうなりたいと思っていることが良いんだよ」と言われてそうじゃん!?!??!?!?となって面白かったです。正しいかはわかんないけど、重要なのは私が「私ハナリタイ」ということは「私はそうはなっていない」という感情を完全に読み落としていたという事です。
言っていることおかしくない?ということにしか言及できないの面白いな
そもそも小学校の頃に読んだことがある詩を今まで音声としてしか認識していなかったっぽいことも分かって良かった。
こちらがどう受け取るかによって印象全然変わるので文章おもしれ~