2024年6月26日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#東京ディバンカー
昴流さんの四谷怪談のおすすめが人の情念の恐ろしさなシーンなのを見て「本当は腹黒なんだ……」みたいな感想を見るたびに、歌舞伎のクソ有名な演目のクソ有名なシーンをおすすめしている大変ド王道の真っ当なシーンだわボケとなっている。
むしろもっと知識あるだろうに初見でもわかりやすいシーンを持ってきてくれてる優しさや戸板返しと比較して感情寄りの髪すきを持ってくる趣味を垣間見てにっこりする台詞だったので、ギゲゲゲみろ四谷怪談を!!!!!!!!そもそも歌舞伎にはおすすめしやすい決めのシーンがあって、そういうシーンは情念のシーンになりやすいの!!!!!!!!逆に四谷怪談のおすすめシーンでどこ取れば腹黒くならないんだよ。
昴流さん周りの歌舞伎の感想、「顔が綺麗だから女形」「女っぽいから女形」みたいな偏見が繰り出されるから嫌すぎる。
というかおすすめの仕方で性格悪いんだってなるのはどう考えても白波君でしょーがッッッ

2024年6月12日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#東京ディバンカー
ヒプノシスマイクを見終わって「全キャラピザを縦にすると思う」とつぶやいた次の日に、好きなキャラクターのラインがきもすぎるという理由で苦しんでいるの現代の寓話。
第三者の自分が自分のことを大変面白がっているので今の感情を文章に残すべきだと言っている。

2024年6月8日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#東京ディバンカー
昴流さん実装前日のツイッターで公開されたカード名が「雨霞に煙る芸妓」だったんだけど、30分くらいでツイートから消えて、次の日実装されたのが「雨霞に煙る立役者」に変更された話

最初「芸妓」で公開された時、私は驚いたし怒りました。理由としては作中の加害のバランスを取れないからです。
東京ディバンカーは作中でジェンダー観に偏りが多い表現の作品なんだけど、その攻撃性は全部主人公が受けています。女性と確定されている主人公が以降のシナリオの展開で活躍することで捲る予定だと思います。これはシナリオ全体でうまいことやって初めて成立する捲りなので、そこはライターの力量によるので成功するかはわかんないけど、とりあえず現在の私はそれをしてくれると信頼することにしています。
それに対して昴流さんは歌舞伎のおうち出身で、ホームセリフで「見世物にするために育てられることは悲しい」と自分の身を顧みるようなセリフを言うあたり、他人に消費される人生を憂うキャラクターだと思われます。実際5章でもその能力を買われて自分の意思を無視してやりたくない作業をやらされている立場にいます。
ただでさえ歌舞伎の家庭問題はそれが原因で現実の歌舞伎から距離を置く程度にセンシティブな話題なので、それをキャラクターのバックボーンとして置いた上にエンタメ的に良い方向に受け取る形で捲る時点でかなり難しいバランスになります。
そういうシナリオ展開のキャラクターに対して、芸妓という現在も問題視されている搾取される女性の立場の職を比喩表現として引くことは、歌舞伎と芸妓の両方に対しての加害性の制御ができません。
前提として昴流さんは芸妓ではなく歌舞伎役者です。
仮に昴流さんの悲しいバックボーンのことを指して芸妓のようだと否定的な文脈で語る時、昴流さんがそのトラウマや環境を受け入れたり怒ったりなんだったりしたのち立ち直るエンタメ展開が来たとして、芸妓の有様の否定や彼らを搾取する者への批判を同軸・またはそれ以上にやらなければバランスが取れません。作中で昴流さんは男性だからです。性別の記号によって物を語る時、その対称性を考えながらバランスとらないといけない。ただでさえ東京ディバンカーは女性の非加害性が強いので、そこには人一倍慎重にならないといけないと私は思っている。なんなら女性的枠組みにはめて昴流さんを語り、主人公より先に昴流さんの方が先にカウンターをする時点で厳しい。
エンタメ的な負荷と解放をするための負荷の表現に芸妓を引いて、解放するときには芸妓からの脱却という手順を踏むのは最低だ。芸妓でもよい!人を魅せることが本懐である!と芸妓であるさまを肯定で語る文脈は無責任だしそれを男性のキャラクターが言うことでバランスが崩壊する。
また、まるで「芸妓のようだ」を例えば作中のレオ君が昴流君に向けて言うのは加害・否定の文脈であったとしても彼のキャラクター性から彼自身は許されないが作品としては許される。それは悪意のあるものとして提示されているからである。
しかし公式がカード名に対して「雨霞に煙る芸妓」としたとき、それはアプリ外に前述の文脈がないまま公開されることになる。それは作品によって文脈の制御ができない。
また、これは作品の発言となり、これ以降昴流さんの描き方によって加害・否定の文脈が少しでも乗った時点で加害者になります。どう転んでも制御できないカード名だった。

海外版はHazy Spectacle(霞んだ光景)でなんでこっちじゃないんだろうと思った。

しかし、公開されてから30分程度で非表示され、カード公開時にはカード名が「雨霞に煙る立役者」に変わっていた。
これにはびっくりした。いや、公開する前にちゃんと表現チェックしろよとは思いましたが!
なんか東京ディバンカーの倫理観制御、傍から見ると終わっているように見えるんだけどキャラクターによって倫理ラインが設定されているように見える+悪いこととして描かれていることは一貫しており、個人的に信頼していました。
だから今回のカード名で私の勘違いだったのか~って思ってたんだけど、対応が早くて、これって内部に倫理観チェックセンサーがしっかりしている人がストップをかける+修正したという動きに見える。
もともと出す予定のカード名じゃないものを出した可能性もあったけど、ツイートはカード名の修正ではなく削除だったあたり後出しのカード名だったんじゃないかなと思います。
制御できてるんだかできてないんだか、心配なんだか安心なんだかー。




ここまで

なんでヒプマイとか刀剣乱舞とかが流行っているのか当時もわかんなかったけど、昨今アニメの考察とかが流行っているのを見るとああいう行間を埋めるコンテンツって自分だけが見つけた文脈というのが発生しやすい+SNSの黎明期で二次創作が評価されやすいの合わせ技なんだろうかと振り返る。
自分だけが見つけたと思えることって体験込みで作品への入れ込みの理由になるし、そこに他者評価がつくとなると加速するんだろうしな~。
でも最近はその行間コンテンツは減って、キャラクターの面白い部分とかSNSで大喜利がしやすいちょっと変でちょっとだけコアでコアすぎないでもちょっとコアなものが跳ねやすいんだな~って思うのは私のTLの構築が悪いです。はい。

本当に聞くのがずっと苦しい。演出の趣味が全然合わないので面白い。
銃兎さんみたいな腹黒キャラがターゲットに対して裏でヤカラみたいな強めの言葉を使って口汚く煽る・ラムダが切れたときに声低くして切れるなど。
リオーさんの突込み無効化属性は好き。
当時白膠木ササラが出たときも「ヒプマイは私と趣味が合わないので絶対にかっこいい感じで開眼する」と言っていたしした。

ヒプノシスマイクのドラマトラック聞いてるけど、頭いいはずのキャラとそうじゃないキャラの言葉選びや行動に大きな差が見られなくてそうだね……という気持ちになっている。ラップバトル前提だから全員の沸点が低く設定されてるのも原因だろうな~。ホビアニっぽい新宿や横浜は楽しく聞けたけど、かっこいい感じの演出をしようとしているときとかの乗れなさがすげぇや。
もとより罵倒による勝敗付け自体が趣味じゃないのと、最中に採用される罵倒が年齢や見た目だったりするのも多いため私の好みじゃないんだろうな。まぁそうなるとラップ自体の流れや歴史に反するんだにゃ~。でもそれって当時の見た目や言動で差別を受けていた人がラップで相手にし返すという文脈があったためなので、今その文脈が減った時にやるのはカウンターカルチャーなのか……?主体が言葉遊びだったら楽しめるんだろうな。まぁ私詩歌に対する感性も乏しいので何を言っているんだと思います。
まぁラップができているならそっち方面の頭の良さの描写になってるのかな~、わかんないや。
リリース当初にドラマトラックの最初のシリーズはちゃんと聞いてたうえで刺さっていなかった記憶があるが、特にそこに変化はなさそう。

2024年6月2日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

序盤のキャラクター紹介シナリオスキップすれば読めるかも!と思ってずっとパズルやってたブレマイを進めている。
誓約書にサインするところまですすめたら面白くなってきたかもしれない!

きょう気圧やばくない!!?!?

最近ノベルが主体のアプリゲームがいっぱい出たのでいっぱいDLしてメインシナリオの冒頭だけ読んでスマホが動かなくなるのでアンインストールするというのを繰り返している。
いくつかのアプリのメインシナリオの冒頭を通過した感じ、最近の流行りであるキャラクターコンテンツで登場人物が20人くらいばっと出されて開始5話くらいわちゃわちゃ関係を見るみたいな物語進行が苦手っぽいのが分かって面白かった。
物語の開始するときのお話は登場人物はメインでも多くて3人+サブ2人くらいでイベントを通してキャラの紹介が済むし、次の話への引きもある!という週刊連載の規定ページ内でエンタメをするというフォーマットで育ったのもあるからなんだろうな~。
あと私がキャラクターよりも物語の位置エネルギーの遷移に面白さを感じる極端な人間なため、集金システム的にキャラクターの魅力を最初に提示しないといけないアプリのやりたいことを見たいと思わないのがある。

そして東京ディバンカーと怪盗夜想曲は、イベントやシナリオ内で動くキャラクターが決まっているため登場人数抑えめ+イベントが主軸で短いテキストでキャラの特性が分かるので私向きなんだよな。
まぁそうなると今風ではないということにもなるのだが、しかし今の女性向けアプリゲームのその動きって漫画とか映画とかで採用されないやつなのではやっているだけでいいやり方かっていうと困るな~って感じ。
私は顔しか知らないキャラクター同士の冗長な和やかな会話を世界観も何も知らん状態で読まされるのはやっぱりつらい。私はシナリオか設計思想が面白い→キャラクターに興味を持つ順の人間で、公式サイトに顔の一覧並べられても好きそうな顔であることはわかっても好きそうなキャラだ!とはあんまり思わないからな……。そして冒頭わしゃわしゃ系だと物語設計思想は割と外れるし。
多くのアプリはメインシナリオよりもイベントシナリオが主体になるからそこらへんはふわっとしがちなのかもしれない。