不理解理解

文末にはすべて必ず(※個人の考えです)が付きます

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今日頭痛はないけどめまい倦怠感強烈な眠気口の中の違和感のコンボで体調が終焉。

今回作ったカレーが初日の時点で2日目のカレーと同等のポテンシャルを持っていたから「やったー初日からうまいカレーが喰えてHAPPYだぜー!」と思っていたら2日目が歴代カレーの中で最もうまくなっており平均を踏み倒していった。
う、嬉しい!!!!!うまい!!!!!!!
強火~中火で加圧時間7分!強めの火力のまま加圧していいのか知らんけど今までで一番うまい!水なんてほぼ飛ばしていい!OK!

まえ書いた本の感想メモ読んだけど、シナリオの内容も総括もちゃんと書いてあってかなり読みやすかった(当社比)。
そこまで戻りたいね……。

私は東京ディバンカー1章から大人と子どもとかコミュニケーションの難しさの描写とかが山ほどあったのでいつかそこらへんの厳しい話いつかしてくれるんだろうなって楽しみにしていたから、10章の子どもの話やコミュニケーションの難しさの話をかなり強めのアクセルでやったのを見たときかなり「待ってました!!!!!!!!!!!」と思ったんだけど、感想を見ているとそういう描写が丁寧すぎて厳しくて向いてないとか見たいのはこういうシナリオじゃないみたいなのがあって面白かった。

毎回米を炊いているのだが、冷凍を勧められたので1週間やってみたけど私の解凍が下手なのかやっぱり炊いた方がうまいな。

久しぶりに冷えたシャウエッセンを喰らうサトゥルヌス
おいしい

①ごんは死んだ
②ごんは死んだと書いてない
③ごんは生きていると書いてある
④ごんは生きている

事実認定としての正解は②なんだなぁ
感想や受け取り方は①でも④でもどっちでもいい。
そもそもごんぎつねのごんが生きてるか死んでるかって物語の主題にそんな関係ないのでどうでもいいしな……。

語り手論を採用した上で語り手を主観の存在とし主観は曖昧な物であるとしたときのごんぎつね

村長が自分をごんぎつねだと思い込み毎日兵十に果実や魚を差し入れするが、最終的に自分はごんぎつねではないことを兵十から指摘されたことをごんぎつねの死と捉え、村長としての自認で他人にごんぎつね時の記憶を語って聞かせているがそもそも兵十という人はこの村に存在しない。
なぜ死んだごんぎつねの行動を村長が知っているのか・兵十がいる村で物語化するには早すぎる物語の練度の矛盾点を補う回答がこれだ!

わはは
これの何が嫌って前提条件の語り手の物語の信憑性が限りなく0の前提条件なので、事実認定誤認による誤読の指摘すら出来なくなることなんだよね。
ここまで来るともう好きにすれば?と思うので、私はなるたけ作中事実認定のある事象でしか語りたくないし、ふざける時の事実認定されてない事象でのツイストはなるべく一箇所にしたいのだなぁ。

私は物語の読みに正解はないけど誤読はある(地の文を正とする)勢!

分かる人分からない人の二元論を見る度に、分かってる自認の作品内事実認定ガバガバの人とかいっぱいいるしな……と思うので、分かってるかどうかよか作中に書いてあるか書いてないかの話した方がまだマシだとおもう。
行間なんか読もうと思えばいくらでも読めるし可能性が0の物もあんまりないので、作品内のノリ的に主な読みはAだがBの可能性は0ではない・断定できない(なぜなら作中でそう言われていないので)となるのが良いのだろうなぁ。

しかし語り手論を採用した上で語り手を主観の存在とし主観は曖昧な物であるとすると自認による事実認定でしかないので事実認定による否定も出来なくなるから事象は拡散するのでマジでなんでもありになるから定義やライン引いた上で話さないといけないんだけどそれ140文字でやるのは無謀なのでした。終わり。
だから語り手認知歪みトリックとか、事象は拡散し続けるから基本的に好きにならないというか読む意味を感じられなくなるのだなぁというのを思った。
物語は現実とは異なり事実の認定が出来るのが最高!なぜなら作者は物語世界の神なので。

カップリング表記でA+B×Cというのを見るたびに(A+B)×CなのかA+(B×C)なのか…‥?となる。
多分前者
なぜ!?!?!?!?!

まほやくの感想をまとめたいが来週で全員の親愛度シナリオ読み終わるからそれまで我慢しようと思いながらずっとごちゃごちゃ考えている。
そして最近やっとまほやくに対する「シナリオの進行が遅い」感情への対策として「これは賢者のエッセイなんだ!」と思い込むというのを発見した。
エッセイは本人の感性に関する構成がありさえすれば、実際に起きている事象に進行がなくてもいい。

夢傾向の妄想で「キャラクターは好きな人が自分の部屋に来た時それを合意と取って手を出すか?」を加害ではなく萌えの文脈で語っているのを見ている。
私はそれで手を出す男に滅茶苦茶萌えるが、たぶん受け取り方が違うのである!!!!!!!

昨日の夜から強烈な鼻炎になり、それがそのまま継続している。
原因は部屋をバタバタした結果のハウスダストだと思われます。
窓開けたのでハウスダスト自体は問題ないはずなのだが、私は一度トリガーを踏むと原因関係なく鼻炎が長引くカスのような肉体。
薬を飲んでもいまだ治らず。

ローストビーフ丼に関するTLを見て、よく行ってたお店のおすすめメニューがローストビーフ丼で実際おいしかったんだけど、寒い日に何がいいかふわっと聞かれたので「あったかい料理がいいです」って言ったらローストビーフ丼が出てきて「この人私の話聞いてないのかローストビーフ丼を温かいものと認識しているのかどっちだ……?」となったのを思い出した。おいしかったです。
この店のローストビーフ丼は私視点全く温かくないです。

そういえば12月末にゲームを公開しました。
【東京ディバンカー二次創作】Welcome to Mystery Diner
二次創作でゲーム使うの、個人的にかなり無法なんだけど落ちまで含めて良しとした。
ブラウザかつ英語版追加したら振り返りブログ書きたい。

全部3行くらいの感想なのは流し見したやつとかしばらく前に読んだ結果そんなに強い感想を覚えていないからです!
感想筋肉も衰えているのかもしれない。ほほほ。

5カ月程度投稿が止まっていて面白い。今年は感想を残す習慣を復活させたいな。

東京ディバンカー全部の寮のメイン回が終わったのでそれぞれの章に対する感想とかまとめたい気持ちと、感想をまとめる筋肉が衰えているので腰が重いぜ!という気持ち

生きているものや実在する物を記号化してエンタメ消費しやすくする手つきが苦手なんだけど、ここ最近オリンピックの関係で時事ネタヘタリアや実在の選手に無課金おじさんという名前を付けたやつやVRCや配信者のFAやVTuberの切り抜きとか三次創作的なFAがおすすめに大量に流れてくる時勢になっておりギーとなっている。生きているもの全部興味ない興味ない興味ない!!!!!!!!!!!!!!!

最近ジェスチャードローイングをやってそろそろ10日目くらいなんだけど、私がやっているのはジェスドロなのかクロッキーなのかわからなくなってきた。


これで爆笑しているので自分の笑いポイントが分からない。不条理であることと和やかな雰囲気に引っ張られている気はする。

解釈一致とは

140字の断定的なツイートに対して解釈一致です!と言われるたびに、私にとっての解釈で重要なのって結論ではなく論証の過程なので、私のツイートから解釈を読み解くことは不可能!なぜなら論証をぶっ飛ばしている・推敲してないから!解釈という単語への定義からしてすでに不一致!おしまい!となる。
あと相手の解釈の開示なしに勝手に一致!とか言われても困る。へぇそうなんですか以上の感情がない。私はあなたの論じ方を知らないし、ソースの確認方法もしらないので一致しています!の報告に一切の信頼性がない。一致していると思った根拠は?この単語に対する定義づけは?
そもそも私は解釈が一致していること・同調の喜びを感じないたちだし、それに喜びを感じること自体に忌避感を感じているから、「解釈が一致している」を肯定的なコミュニケーションとして採用する価値観であることを表明し、それを私も喜ぶと思っている可能性を提示した時点で割とすれ違う。あなたはそうなんですね、私は違いますがでコミュニケーションが終わっちゃうんだぁ。それでこっちの深掘りを開始するようならいいんだけど、私は違いますがをネガティブな突き放しと捉えられることも多いのでどうしろっつーねんと思う。
感想の言語化はしたいやつだけがすればいいと思ってるけど、解釈が一致って言われたら一致不一致の確認をするためには言語化為ざるを得ないのだからどこが?と聞くしかないんだよな。んも~~~!
あなたはそう思うんですね。私のつぶやきを楽しんでくれて嬉しいです。で終わらせるのが正着。正着。正着……。

私のツイート常に散文的かつソースの確認手順をスキップしてるから私のツイートに信頼を置かれるとめちゃくちゃ困る。私は常に雑に呟いていきたーーーーーーい!
私のつぶやきは解釈考察ではなく信憑性のない思いつき!!!!!!!

そんな単語一個でここまで言われるの可哀相。相手そこまで考えてその言葉使ってないし、自分と似た言葉の使い方を要求するのはお互いにコミュニケーションする気がないよ……。
インターネットで流布している言葉を使うことで共通の文脈を共有できているという感覚に自分は乗っては居ません!ということを表明したいだけなんだろうな。まぁ一所にまとめて思考しようとすると一つの言葉に対しても無限に思考が発生しちゃうから仕方ない側面もある。ここまでやって分かることは私は自分の精神のためにそういう言葉遣いをしない方が良いだろうことと、そういう言葉遣いをする人はおり、それらの人の思考は私にも同じく読み切れず、またその感性を否定することはしてはいけないということです。
ここまで

この前ウマ娘の映画を見てきたんだけど、冒頭で「ウマ娘は別の世界の馬の生まれ変わり」みたいな文言があり、現実の馬とウマ娘を接続される文言が入ると一気に私の心にバリケードが発生してしまい面白かったです。
現実の生き物をベースにしていることを本編中で匂わされると消費の方向性が変わっちゃうから厳しいな~。
ゲームの方でも冒頭そう説明されてたんだろうな。当時は冒頭雑に読みがちなので流してたんだと思う。ウォウウォウウォウ面倒くさい人間♪

#東京ディバンカー
昴流さんの四谷怪談のおすすめが人の情念の恐ろしさなシーンなのを見て「本当は腹黒なんだ……」みたいな感想を見るたびに、歌舞伎のクソ有名な演目のクソ有名なシーンをおすすめしている大変ド王道の真っ当なシーンだわボケとなっている。
むしろもっと知識あるだろうに初見でもわかりやすいシーンを持ってきてくれてる優しさや戸板返しと比較して感情寄りの髪すきを持ってくる趣味を垣間見てにっこりする台詞だったので、ギゲゲゲみろ四谷怪談を!!!!!!!!そもそも歌舞伎にはおすすめしやすい決めのシーンがあって、そういうシーンは情念のシーンになりやすいの!!!!!!!!逆に四谷怪談のおすすめシーンでどこ取れば腹黒くならないんだよ。
昴流さん周りの歌舞伎の感想、「顔が綺麗だから女形」「女っぽいから女形」みたいな偏見が繰り出されるから嫌すぎる。
というかおすすめの仕方で性格悪いんだってなるのはどう考えても白波君でしょーがッッッ

#東京ディバンカー
ヒプノシスマイクを見終わって「全キャラピザを縦にすると思う」とつぶやいた次の日に、好きなキャラクターのラインがきもすぎるという理由で苦しんでいるの現代の寓話。
第三者の自分が自分のことを大変面白がっているので今の感情を文章に残すべきだと言っている。

#東京ディバンカー
昴流さん実装前日のツイッターで公開されたカード名が「雨霞に煙る芸妓」だったんだけど、30分くらいでツイートから消えて、次の日実装されたのが「雨霞に煙る立役者」に変更された話

最初「芸妓」で公開された時、私は驚いたし怒りました。理由としては作中の加害のバランスを取れないからです。
東京ディバンカーは作中でジェンダー観に偏りが多い表現の作品なんだけど、その攻撃性は全部主人公が受けています。女性と確定されている主人公が以降のシナリオの展開で活躍することで捲る予定だと思います。これはシナリオ全体でうまいことやって初めて成立する捲りなので、そこはライターの力量によるので成功するかはわかんないけど、とりあえず現在の私はそれをしてくれると信頼することにしています。
それに対して昴流さんは歌舞伎のおうち出身で、ホームセリフで「見世物にするために育てられることは悲しい」と自分の身を顧みるようなセリフを言うあたり、他人に消費される人生を憂うキャラクターだと思われます。実際5章でもその能力を買われて自分の意思を無視してやりたくない作業をやらされている立場にいます。
ただでさえ歌舞伎の家庭問題はそれが原因で現実の歌舞伎から距離を置く程度にセンシティブな話題なので、それをキャラクターのバックボーンとして置いた上にエンタメ的に良い方向に受け取る形で捲る時点でかなり難しいバランスになります。
そういうシナリオ展開のキャラクターに対して、芸妓という現在も問題視されている搾取される女性の立場の職を比喩表現として引くことは、歌舞伎と芸妓の両方に対しての加害性の制御ができません。
前提として昴流さんは芸妓ではなく歌舞伎役者です。
仮に昴流さんの悲しいバックボーンのことを指して芸妓のようだと否定的な文脈で語る時、昴流さんがそのトラウマや環境を受け入れたり怒ったりなんだったりしたのち立ち直るエンタメ展開が来たとして、芸妓の有様の否定や彼らを搾取する者への批判を同軸・またはそれ以上にやらなければバランスが取れません。作中で昴流さんは男性だからです。性別の記号によって物を語る時、その対称性を考えながらバランスとらないといけない。ただでさえ東京ディバンカーは女性の非加害性が強いので、そこには人一倍慎重にならないといけないと私は思っている。なんなら女性的枠組みにはめて昴流さんを語り、主人公より先に昴流さんの方が先にカウンターをする時点で厳しい。
エンタメ的な負荷と解放をするための負荷の表現に芸妓を引いて、解放するときには芸妓からの脱却という手順を踏むのは最低だ。芸妓でもよい!人を魅せることが本懐である!と芸妓であるさまを肯定で語る文脈は無責任だしそれを男性のキャラクターが言うことでバランスが崩壊する。
また、まるで「芸妓のようだ」を例えば作中のレオ君が昴流君に向けて言うのは加害・否定の文脈であったとしても彼のキャラクター性から彼自身は許されないが作品としては許される。それは悪意のあるものとして提示されているからである。
しかし公式がカード名に対して「雨霞に煙る芸妓」としたとき、それはアプリ外に前述の文脈がないまま公開されることになる。それは作品によって文脈の制御ができない。
また、これは作品の発言となり、これ以降昴流さんの描き方によって加害・否定の文脈が少しでも乗った時点で加害者になります。どう転んでも制御できないカード名だった。

海外版はHazy Spectacle(霞んだ光景)でなんでこっちじゃないんだろうと思った。

しかし、公開されてから30分程度で非表示され、カード公開時にはカード名が「雨霞に煙る立役者」に変わっていた。
これにはびっくりした。いや、公開する前にちゃんと表現チェックしろよとは思いましたが!
なんか東京ディバンカーの倫理観制御、傍から見ると終わっているように見えるんだけどキャラクターによって倫理ラインが設定されているように見える+悪いこととして描かれていることは一貫しており、個人的に信頼していました。
だから今回のカード名で私の勘違いだったのか~って思ってたんだけど、対応が早くて、これって内部に倫理観チェックセンサーがしっかりしている人がストップをかける+修正したという動きに見える。
もともと出す予定のカード名じゃないものを出した可能性もあったけど、ツイートはカード名の修正ではなく削除だったあたり後出しのカード名だったんじゃないかなと思います。
制御できてるんだかできてないんだか、心配なんだか安心なんだかー。




ここまで

なんでヒプマイとか刀剣乱舞とかが流行っているのか当時もわかんなかったけど、昨今アニメの考察とかが流行っているのを見るとああいう行間を埋めるコンテンツって自分だけが見つけた文脈というのが発生しやすい+SNSの黎明期で二次創作が評価されやすいの合わせ技なんだろうかと振り返る。
自分だけが見つけたと思えることって体験込みで作品への入れ込みの理由になるし、そこに他者評価がつくとなると加速するんだろうしな~。
でも最近はその行間コンテンツは減って、キャラクターの面白い部分とかSNSで大喜利がしやすいちょっと変でちょっとだけコアでコアすぎないでもちょっとコアなものが跳ねやすいんだな~って思うのは私のTLの構築が悪いです。はい。

本当に聞くのがずっと苦しい。演出の趣味が全然合わないので面白い。
銃兎さんみたいな腹黒キャラがターゲットに対して裏でヤカラみたいな強めの言葉を使って口汚く煽る・ラムダが切れたときに声低くして切れるなど。
リオーさんの突込み無効化属性は好き。
当時白膠木ササラが出たときも「ヒプマイは私と趣味が合わないので絶対にかっこいい感じで開眼する」と言っていたしした。

ヒプノシスマイクのドラマトラック聞いてるけど、頭いいはずのキャラとそうじゃないキャラの言葉選びや行動に大きな差が見られなくてそうだね……という気持ちになっている。ラップバトル前提だから全員の沸点が低く設定されてるのも原因だろうな~。ホビアニっぽい新宿や横浜は楽しく聞けたけど、かっこいい感じの演出をしようとしているときとかの乗れなさがすげぇや。
もとより罵倒による勝敗付け自体が趣味じゃないのと、最中に採用される罵倒が年齢や見た目だったりするのも多いため私の好みじゃないんだろうな。まぁそうなるとラップ自体の流れや歴史に反するんだにゃ~。でもそれって当時の見た目や言動で差別を受けていた人がラップで相手にし返すという文脈があったためなので、今その文脈が減った時にやるのはカウンターカルチャーなのか……?主体が言葉遊びだったら楽しめるんだろうな。まぁ私詩歌に対する感性も乏しいので何を言っているんだと思います。
まぁラップができているならそっち方面の頭の良さの描写になってるのかな~、わかんないや。
リリース当初にドラマトラックの最初のシリーズはちゃんと聞いてたうえで刺さっていなかった記憶があるが、特にそこに変化はなさそう。

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