不理解理解

文末にはすべて必ず(※個人の考えです)が付きます

2024年5月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

冷やかしで始めたのにシナリオが面白くってわかりやすく手のひらを返している東京ディバンカー
感想を書いていこうか……
#東京ディバンカー

私のゆで方の問題か確認するために吉池のうどん2周目を行っていたんだけど、最終日に突如カレーうどんを食べたくなって使ったルーがセブンの安いやつだったのでうどんがどうとかより「セブンのカレーってこんなにシャバシャバなの!?」て動揺している。うおー私はカレーは粘土が高ければ高いほどうまい教の人間!

私は好きなキャラにこっぴどく振られる夢とかキャラクターにとって私は不要であると線引きをされる夢を淡々とした筆致で書く/読むのが本当に本当に本当に大好きなんだ~~~
二次創作はあんまり読まない(読んでも二次創作としてではなく普通の作品として読む)ので基本的に地産地消スタイルだから存在は認知されなくてもいいんだけど、「夢は好きじゃないんだけど~」の前置きで似たような作品傾向を語られることがあるので歯茎むき出しにちゃう。この前は夢女子は叩くとなるおもちゃと言われてたし。ウ″ーーーーー

感想は書けないのに反論は1時間で書けるのなんなんだろうな。

まだ……寝ないから……~夢女子が選ぶ283プロ28人~

①夢女子研究所を名乗っているが調査内容も先行研究も詳細な評価基準も言語定義も開示しない時点で研究ではない
②最強ランキングを作って喜ぶ身内ノリを研究・アンケート結果のようにタイトル付けしている
③主語を巨大にして何かを悪く言うノリは身内かつ本人がその主語の代表のようにふるまう傍若無人さから転じて笑いの対象になることもあるが、公開された場で自分は夢女子ではないとくぎを刺しながらエミュレートした場合は対象への侮蔑が含まれる

上記が怒りの3点
エミュレートの精度が低い・「女子は〇〇である」などバイアスの多い語りをする・参考もとになったランキングの投票に女性以外が参加している可能を考慮していない・他人の見た目などを点数化して公開する姿勢などに関しては本論の議題ではないため割愛。

以下は該当記事の夢女子に関する前提条件に関しての反論
書き手と呼んでいるのは該当の記事における作中語り手であり、書き手本人を指すものではありません。

■概要
該当記事では夢女子の定義を「キャラと自分=<書き手/読み手>の恋愛を想像する人物」と定義しているように思われる。
しかし、夢は以下の観点・立場でも楽しむことができるため、該当の記事の書き手の考える夢女子像は狭義であり、事実とは乖離している。
・夢主=プロデューサー
・夢主=アイドルのファンやただのクラスメイトのようなキャラクターとの距離が遠い存在
・夢主=作品世界に存在するモブ・非人間存在
・夢主=作品世界に存在する無機物
etc

■書き手の夢女子の定義についての検証
本論では、夢の定義を「自身の欲望をもとにキャラクターと自身の関係について言及・思考する行為また作品」とし、夢女子の定義を「夢を創作または愛好する者」とする。
該当の記事では夢女子の定義が開示されていない。
参考もととなったと思われる「夢女子が選ぶ2023年の100人 」では夢女子の定義はされておらず、自認による投票が行われている。
該当記事では評価点として「クール系・中性的・個性的・ファッションリーダー的要素が高いる」「キャラと特別な関係になる想像のしやすさ」「「この人に好かれる私は価値がある」と思える」「好きな人がいない」を挙げている。
評価基準では「特別な関係」と恋愛要素を避ける表現をしているため、恋愛のみに限らない親密な関係をさしている可能性がある。
しかし園田智代子の項目で「究極仕事人プロアイドル園田智代子との恋愛を想像できる奴なんている????」「それ故に彼女の恋愛が全く想像できない。完璧なアイドルのちょこぱいは、私に夢見る余地を与えてくれない。」と夢=恋愛関係であると書き手は考えているように読み取れる箇所がある。続く文章が「だが、夢女子は違う。完全な敗北。私は己の解釈に囚われ、夢女子の夢見ることを想像もできない。」と「恋愛する姿を想像できる」のが「夢女子」だととらえられる文章からも、書き手の思想を読む取ることは可能だろう。
加えて、減点項目として挙げられる「Pラブ」に関しても述べる。ラブを広義の愛と受け取ることもできる。しかし、黛冬優子の項目で「ラブというよりバディ感も強く」とバディ感の対比言葉として採用されているため、ラブをバディのような信頼関係ではないものとしての意味で採用しているように受け取れる。該当の記事の書き手はバディ(「この二人は恋愛じゃなくって」という文脈で採用される)の対抗として恋愛という単語を採用している可能性が高い。
Pラブでの減点とは「Pとの恋愛要素を強く感じるキャラなので、そのキャラと自分・夢主(Pではない)が恋愛する想像をするのが難しい」ため発生していると本論ではとらえる。
上記の理由から、該当記事での夢女子とは「キャラと自分=<書き手/読み手>の恋愛を想像する人物」であるとする。

先述の定義は「ゆめこうさつぶ 」の「「キャラと自分=読み手」」(P.5 上 l.14)「キャラと自分との恋愛を主に描くものである」(P.5 下 l.10)に近いものだと考えられる。
しかし、該当の定義が発表された時点で夢女子を網羅できていないことが指摘されている

■「Pラブ」だから夢にならないについての反論
該当の記事では書き手は夢女子のことを「解釈に囚われない」存在として語っていた。
そこで、本項目では書き手の用いる「Pラブ」とキャラクターの解釈を抵触しない範囲で反論する。
「Pラブ」とはキャラクターとPの恋愛関係がある可能性が高い存在だと仮定する。
次に、夢を作ることができない理由を恋愛基準で仮説として立て、それに反論する。

①「Pがいる」から夢にならない
Pという不可欠な存在がおり、二人の関係は強固なため、介入の余地はないと受ける。
該当の記事では夢主=Pという立場はとられない。
「提督/P/トレーナー/審神者/監督生」などのキャラクターコンテンツにおけるプレイヤーが操作するキャラクターが登場する作品を夢ではないとする人は多いこと(//cir.nii.ac.jp/crid/1522262181114202752:審神者なるものは過去へ飛ぶ それは歴史の繰り返しでも言及されている。)に由来する可能性がある。
Pとアイドルの作品を夢作品と呼ぶか呼ばないかに関しては、作品によるグラデーションがあるため夢と呼ぶ余地があると言及するにとどめる。
しかし「Pがいる」から夢にならないの反論として、成り替わり夢が提示できる。
夢主=Pの代替を行うことでPへのラブを夢主に向けることが可能。
よって①の主張は成り立たない。

②「自分以外(P)と恋愛しているから」夢にならない
②においてはP≠夢主とする。
1.キャラクターと相思相愛になれない
キャラクターはPが好きなので自分のことを好きになる余地がないと受ける。
この仮説には夢=恋愛かつ夢=相思相愛であることが重要という思想が強く出ているように感じる。
しかし、本論での夢の定義「キャラクターと自身の関係」は恋愛に限らず、すべての関係を指す。
・キャラクターに恋愛的な意味で片思いする何者か
・キャラクターに憧れるファン
・キャラクターのペット
・無機物
キャラクターの世界に存在する何かになること・どのような関係を結ぶことでも夢の性質を持つことができる。
そこに相思相愛であること恋愛感情であることは必要条件ではない。
よって②-1の主張は成り立たない。


2.キャラクターがP以外に対して恋愛感情を抱く可能性が低いから
この仮説には恋愛=1:1であるという思想が強く出ているように感じる。
しかし、ポリアモリーのような多人数交際関係の視点が抜けている。別に人間の恋愛関係は1:1である必要はない。
よって②-2の主張は成り立たない。
キャラクターがそのような性的嗜好を持っていない・そのように解釈することができないという主張に対しては、他人の内面を解釈によって決めつける権利はないを反論とする。
また、その主張によってこの解釈を否定する場合、解釈によって導き出されたキャラクターの性的嗜好の開示、その結論に至った理由の説明を要求する。

上記の仮説の否定から②の主張も成り立たない。
以上から、書き手の「解釈」にのっとった上で夢の成立は可能であること、その手法は「解釈に囚われない」のではない側面もあることを主張する。

■まとめ 書き手と園田智代子の関係について
本論では、夢・夢女子の定義を開示したうえで、該当の記事の夢女子語りについて反論した。
該当の記事では夢女子の定義が書き手のバイアスにより狭く定義されており、参照元の記事の分析・再現をするための前提条件設定が現実と乖離していると考える。
このような状態で現実に存在する他者(本論では夢女子)について語るのは無責任な行為である。
前述の評価基準や内容はあくまで参照元サイトをもとに提出されたものであり、現状の夢女子について語るものではないという反論も考えられる。
しかし、夢女子全体を指す意図がないとするならば以下の点が不適切である。
・サイトのタイトルを「夢女子が選ぶ」にすること
・投稿者名を「夢女子研究室」とすること
・「とある夢女子(概念)」のコメントを総意のように載せること

繰り返すが、本論では夢の定義を「自身の欲望をもとにキャラクターと自身の関係について言及・思考する行為また作品」とし、夢女子の定義を「夢を創作または愛好する者」とする。「キャラクターと自身の関係」は恋愛に限らず、すべての関係を指す。
ゆえに「シャニマスの公式太陽はめぐるだが、私にとってちょこぱいこそが太陽であり光なのだ。推すと言うのもおこがましい。彼女は私にとって完璧なアイドルである。それ故に彼女の恋愛が全く想像できない。完璧なアイドルのちょこぱいは、私に夢見る余地を与えてくれない。」と、自身の「私に夢見る余地を与えてくれない」存在でいてほしい願望・夢をもとに「彼女」と「私」の関係について言及している該当の記述も夢に含む。

ついでに私がよく書く夢は好きなキャラクターにこっぴどく振られる夢です。
ここまで

私、論理的思考によって実践される物語やキャラクターのことを美しいと思うがそれって非人間的な美しさを求めているから人間に求めていいものではない。
だから生きている人間に対して「前と言ってること違う」は言わないようにしているし意味がないと思っている。それはそれとして相手が「私は論理的です」と言い始めたら「そのルールで深堀していいってことですね!?」って喜んじゃうんだよな。物語に対しての解体を始めるのもそれと似たようなノリだし。
そして生きている人間がリアルタイムで出力する論理的のことを私が一切信用しておらず、加えてその人によって論理的の定義が異なると思っているから、話者がいっている「私のロジックは通っているという主張」ではなく「何をもって相手が自身のことを論理的だと評価しているのか/どこまでを論理でどこまでを非論理と定義しているのか」の検証を始めるからコミュニケーションに齟齬が生じるし相手の感情をガン無視するのでやってることがwikiのソース検証みたいになる。このコミュニケーションは許可を取っている人間以外にやっちゃいけないから人と喋る時なるべく黙るようにしているし、多人数の場では禁止カードなので相槌に徹するようにしている。それ以外コミュニケーション手段持ってないのかよ。はい……。
でも前に15分おきくらいに「話をまとめるとあなたの目的はAであっているか?」という確認作業をしてるのに毎回Aが変わる人がいて、その人2時間全然目的の一貫性が保たれていないのに会話を続けていて「これだけ私が話の一貫性がないことを質問形式で指摘しているのに一貫性を持っているという姿勢を崩さず加えて話をやめることもしないのすげぇな!」と思ったことはある。私は相手の一貫性を持っていますという態度の解体に興味があり、相手は自分の話を真面目に聞いてもらえているという状況に嬉しくなっており内容に関しては興味がないという謎のつり合いが取れていたんだと思っていまだに思い出す。あれは飛び交う言葉は多かったがコミュニケーションかと言われるとどうなんだろうと思う。いや、私は相手の思考の流れが割と感じられたので楽しかったのですが。

私は散歩すると話が思いつくタイプの人間なんだけど、ほかの人は風呂でもその現象が起きると聞いたので今日は近くの銭湯いってきた。
結論として、私はのぼせるのが早いので話を思いつく前に風呂を上がることになります。同じ動作を長時間繰り返せるから散歩が私向きなんだろう。
それはそれとして銭湯で出てくる料理が手作り感満載でおいしかったのでまた行きたい。ソースでペソペソのソフト麺焼きそば。ショウガたっぷりの焼きナスに薄味の醤油をだーとかける。嬉しい!

3D背景の導入方法
https://cuteshadow.itch.io/3d-background...
おあああ

今日のうどんとてもおいしかった!
大きい鍋でゆでる+途中から弱火にして蓋をする+しっかり水でしめる+湯通しするをすると麺の腰がしっかり出て良い!

2024年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

同人女の感情、他人に「毒マロ1000件届け」を軽口的ギャグとして出してたキャラが毒マロの標的になっており回収みたいになっている。
構造としては良いんだけど私の第一感が「さっさと開示請求しよう!」なので相変わらずこの漫画向いてないぜ!
他人に匿名で暴言を吐く行為がカウンターに使われるの嫌だな!匿名での暴言は自然災害的天罰ではなく人災だし犯罪です。
そもそも同人女は作品自体ではなくそれを媒介にしたファンダムとの交流が主軸の話な時点でオタクとしての趣味嗜好も合わないので仕方ない。

あと嫌な気分になった原因の人に対して本筋と全然関係ないところで痛い目にあってほしいと思ったことがないので理屈が知りたい。
私が不快な気分になった要因となった行動の誤りを認めてもらうか、私の納得できるような理由を提示してもらわないとすっきりしないと思うんだけどすっきりするんか。
不快な思いをした相手の行動と本人が直結しているのかな。私を罵倒してきた人間が私と全然関係ない場所で不幸になったとてどうでもいいし、私を不当に扱ったことに対しての考えの変化はない方がむかつかないか。私への贖罪の念を覚えるまで絶対死ぬなよ。でもそれを理解してもらうためになぜ私が傷ついたのか説明するのは面倒臭いので全部放棄します!!!!!!!!!カス!!!!!!!!!!!!!!!

本論では別に相手は自分に悪意を向けていないので全然違う話だしな……。
自分の中の攻撃性を他者に向けることに対するハードルが低い世界観の中の人間たちがそれらを当然のことと観測しながら自己完結していく話だから私からのチューニングがかなり難しい。作品世界におけるいいこと悪いことのライン引きがよくわかんない。ホビアニ文脈で受け取るにはリアリティラインを現実に寄せることをフックにしているので混乱する。

吉池行ったらずっと探していた生太めんうどん売ってたので買った!
食べたらおいしいが世界一というほどか…‥?となったんだけどうどんそこまで好きじゃないことを思い出した。
うどん好きじゃないのにおいしいという感情になっている時点でかなりうまいんだと思う!

チーズとか小麦粉の味が嫌いだということをいつも食べる直前まで忘れている。本当は私が嫌いな食べ物あと3つくらいあるはずなんだけど思い出せない。
そしてなぜかそれを注文しがちなので食べてから「……?」となり嫌いだったことを思い出す。
吉池のうどんはおいしいので大丈夫!あと3食あるけど行けます!

わくわくわーく!出張が一日伸びたよ!


面白かった。
MBTI診断への悪口が出てきてタイムリーだなと思った。
ただ私がMBTI診断が嫌いな理由は言語優位者が適当な型にはめて他人や物事を理解したつもりになるのに利用しているところとその根拠が雑・ないところで、この二人は提示された結果に対しては一致しているがわざわざそれを診断を通して知る必要はないという観点でヨシとしていないから、自身や他人の言語化に対する信頼と情報源の正確性の加重が違うから面白いね。
私は自分の言語化を後出しじゃんけんの枠組みをあてがうためだけの雑なもんだと思っているので、あんまり自分と同じ答えが出ても信頼ないや。というか、回答の傾向から出されるのって「自分の認知」というより「自分がそうありたいと思っている姿」の解析に寄りやすいし、それと答えが一致しているから正解というの、あんまり自己分析とは言えないしな。特に言語優位の思考に沿っていると枠組みを作るのがうまいせいで自分の好みにストライクゾーンずらしやすいと思っている。結論が出るより前に相手を組み伏せるための理屈が先に来て考えるより先に喋っているって、要するにそういうことだからな~。自分の考えを言語化することと、思っていることを言語化するのって点なのか線なのかで全然重要度違うし、難しいね。本当の自分ってなんだろう。
自分の中で完結する分にはいいんだけど、他人に向けだすとな~。お前はA型だから/なのに××!と言われるの、意味が分からなさすぎる。
私は図形>言語>>視覚かと思っているけどどうでしょう。

個人的な趣味でカット済みの宝石を集めてるんだけど、最近ケースを入れ替えた結果宝石の名前シールがダメになってしまったので新しくしたい。
でもそのためにテプラを買うのもなぁと踏ん切りがついていない。

○○のためにインプットしようという目的で映画みたり本読んだりする人間には絶対にならんぞ……と思ってるが、それはそれとして年末に見た映画とか読んだ本の数数えてすげ~となることはある。

日プにMBTI診断が出てきて、メンバーの診断結果とそれっぽい挙動を紹介していた。人間ダービー番組で属性付与して消費しやすいフックにするのか~!と面白かった。
MBTI診断のことを頭よさげな血液型占いだと思ってるんだけど、自己分析だけではなく他者解析にまで使われるようになってるのを見ると分類分けが好きな人が多いんだなとなる。まぁ考えることは少ない方が楽だもんな。私はその区分けで私のことを判断されたらムカつくけど。
ファンの独断によるフィクションキャラのMBTI診断一覧とかあるのも見て、カテゴリ分けと消費行動は相性がいいなと思いました。
私はそもそも16項目を覚えるのが怠くてその仲間には入れないのだが……。

音もなくぬるぬる忙しくなっている。

勧められたので日プ見てる。
人の顔の認識方法が名前の形││周りの反応>シルエット>喋る内容くらいで覚えているっぽい。へ~。ツインテールの人、名前覚えてないけどツインテールだからわかる。
順位発表までで私が覚えられてる人というのはやっぱり何かしら目を引くものがあるんだろうな~と思う。カメラにめちゃ抜かれてるせいなのもあるんだろうけど。さくらいみう/蘭/文寧/恵子
人間ダービー系の番組を見ると視聴者を煽るシステムが綺麗に組まれていて面白い。
私は構造読解が出来ない/したくないのでリアル人間ドラマに興味がないので終わった後も応援し続けるとかはなさそうだけど、誰か顔くらいは覚えられるといいな~。
本人から了承を得ていようとも、生きてる人間のことをエンタメ的に消費することへの忌避感が強くて乗れないのでまぁ日プ向いちゃいないよ。はい。

ただアイドルの剪定してるくせにダンスの時のカメラワークがマジでカスなのでカメラマン剪定を先にやって欲しい。
なんでダンスの止めの時にカメラめちゃくちゃ揺らすの?かっこいいシーンで応援席の他の子映すのも意味分からん。
ここまで

小説の蜜柑で2人が喋っているのはボックス席だと思ってる人が多いのに驚いたんだけど、ど田舎出身故に人がいない電車でわざわざボックス席の対面に座ってくる奴は異常だと知ってるからだなというのを帰省しながら思い出している。
ついでに詩歌の授業を受けた友人に「暗がりに一つだけある電話ボックス」から想起されるのは田舎のわびしさもの悲しさかどうか?と聞かれてYESと答えたら、授業では「非現実的で幻想的な風景」(暗がりに電話ボックスが一個あってしこだけ輝いている様は起こりえない)と解説されたらしく田舎出身同士でありますけどーーーー!私の学校の電話ボックスそうですけどーーーー!となった。ついでに詩歌の作者の出身地まで調べてこのくらいの田舎なら絶対電話ボックスin暗がりは発生してたはずだから俺たちの解釈の方が地に足ついてるぞ……!と未だに思っている。そして私は知らず知らずのうちに都会の描写を非現実的な目線で見てるのだ。

なんかごちゃごちゃ言ってる。
私自身報酬系がぶっ壊れており、短期的な面倒くささとか負荷とか疲れとかに転がりやすい人間なため、選択しないといけないたびに「いま面倒くさいからこの選択肢選ぼうとしてんな~」みたいに思うことが多々多々多々多々あるし(というか私の選択基準はほとんどが面倒くさいか面白そうかどうかのみです)、それを自分で認識するまでに他人を納得させるための適当な理屈などを3つくらい考えてあるのでなんと現金な脳みそだ……と思って生きている。
なんだけど自分と他人を人間扱いするのが出来て初めて社会性生物だと思ってるので、社会性生物未満なりにどうにかこうにか……。
ここまで


これに関しては自分が正しい(と思っている)時に強めの言葉で人を殴るのは楽しいし、自分が優位なのにそれを我慢させられるのは不公平だと感じるからだとおもう。
スカッとジャパンとか追放ものとかの誤った相手を強い言葉で否定する気持ちよさはエンタメになりやす~い。自身の優位性に裏打ちされた暴力!
前にやったゲームで敵キャラへの強い否定の言葉を投げかけるのが最後の面白い場面として提示されたのも、フラストレーションとその解放が気持ちよさに接続されるからだろうし。私はそれをエンタメとして提示されるのは自分も相手も人間扱いされてないな~と思うし、それを感情を扱うゲームでするのはテーマと衝突してないか?と思ってあんま乗れなかったんだよな。
まぁてんがいちかくもそのシステムを部分的に使ってエンタメをやってるんですが!ガハハ いやなゲーム

その気持ちよさを我慢しながら優しい言葉を選ぶのって、快楽に抗うことなので大変な人多いだろうし、誤っている(と思っている)相手より正しい(と思っている)自分の方が負荷が大きくなるのが不公平だと感じる人も多いのかな。なんだけどこれをそのまま言語化すると完全に自分が悪者になるので、良薬は口に苦しで相手のことを思いやっているんだみたいな理論武装になるのかなと思う。頭の中で自分が優しい言葉を選んだときの相手の返答が、想定よりも物わかりが悪いものになりやすいのも無意識下で優しい言葉を投げた場合の負荷が高いことを肯定したいからとかもあるんだろうな。頭って自分の都合の良い方向に働きやすいから。
まぁ要は自分より目下の人間を人間扱いするのって面倒くさいからなんだなこれが!はー自戒自戒ここまで

誰でも抱ける君が好き、アガワさんが処女のビッチみたいなキャラ造形になりはじめてギーーーとなっている。なぜ!?!?!?
いえ、分かります。女好きキャラだけど初恋は主人公のキャラ造形は鉄板で人気だからです。はい。はい。はい。

映画や本やら展示やらの感想を書く習慣が損なわれた……

私は変な家とか変な絵とかのシリーズ(特に本だけに収録されてる話)のことをにちゃんの巣くう者シリーズの後半くらいのテンションで読んでる。

2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

呪いとか祝福とかの概念、私は好きだけどそれはそれとして祝福と書いて呪いと読むとか露悪的な演出とともに擦られることが多すぎるため、かなりびしっと決めてくれない限り「しゃらくせ――――――――――!」となりがち。
もっと正しく言うなら圧縮言語使って楽してるくせにキメ顔してんじゃねーよかもしれない。
説明不足を大衆の(それもインターネット寄りの人間の)前提知識に頼ってるくせに格好よい演出として提示されると手抜きのくせによぉ……となる。
まぁそもそも言語自体が個人の前提知識によるものなんだけど、その割合が高すぎるとケッとなる。個人の話です。愛とかもそうだね。
それって語り手の伝えたいって願いを軽視しているのでは?私は作り手ではなく作品の話をしている。

『創作文芸サークル「キャロット通信」の崩壊/綿本おふとん』-創作文芸サークル「キャロット通信」の崩壊-
昨今よくみる何者かになりたいがなれない思想のなかでも飛び抜けてふわついており、手段と目的が逆転しているしそのことに主人公が気づいていないがそのふわつきに至る妥当性は語り手によって完全に担保されているので主人公に対していうことがないなとなった。
それを淡々と描くの、怖

審査評 で「ラストで希望を持たせたいのか絶望させたいのかがはっきりせず、どっちに連れていきたいんだろうと感じてしまったのが残念なところでした。」に関してはそれわざとだと思うので審査の人と趣味合わないなと思いました。
わかりやすさはエンタメであるけど、わかりにくさが持つエンタメ性だってあって、これは閉塞感とかどこにも行けないのに歩みも止めらんない半端者の話だと私は受け取ったからかな~。
いやでも改修案に出てきているやつは大衆性を高めるために絶望寄りにしながら、どっちつかずであることは確保してあるから言葉選びの問題なのか?でもそれにしても呪いという単語は明らかに強すぎると私は思うから、もうこれに関してはバランス感覚の趣味だよ。というか素朴・簡易な言葉選びをする主人公に急に気取った呪いとか祝福とかの単語を採用する感じもセンスが合わんな。ここまで

逆転裁判4とか5とかの実況見てるとプレイ時に気になってた箇所そんなに気にならないので、自分でプレイするか音で聞くだけかで得られる情報とか考える深度とか私は全然違うんだなとなる。
楽しそうにやってる人のコメントが流れるというのもあるのかな?と思ったけど映画同時視聴とかで楽しそうに見てる人いても全然影響受けないから関係ないな。

今日見た夢でB級ホラー映画を見たんだけど、絶海の孤島にある海上病院に化け物が現れるパニックホラー。
化け物は本体がどこにいるか分かんないけどどこにいても天井から腕が伸びてきて殺されるんだけど、途中から自分の上下移動が大きくなると化け物に認知されることが分かる(なので階段の上り下りを最小にしながら戦う)し、序盤脱出するためのヘリコプターが上昇した瞬間破壊された理由がわかるみたいな割と良い感じに短編ホラー感あってよかった。
なんで夢で映画見てんだよ。

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